「くろねこ諜報局」は1994年4月から1994年5月にかけて、ある民間TV局の深夜枠で放送された小学校段階の教科「社会」で行う学習を対象とする教育番組である。番組における設定と内容は、局員の主人公モグルが様々な社会の闇について危険をかえりみず調査していくというものであった。前身番組である「みせてYO!宿題」と同様に主人公がその時々に抱いた疑問を他人に解決してもらうという新手の問題解決学習の姿勢が描かれていた。わずか2回で打ち切られたこの番組の背景に何があったかをお伝えしたいのだが、以前この番組の真実を追っていた新聞社がわずか一夜で消滅するという事件(政府は急激な地殻変動と公表)が起こったため、念のためここでは控えておく。
自分で映画を監督するのはこれで4作目になります。映画を作り始めて以来、いかに自分が映画を愛していなかったかを思い知らされては途方に暮れるばかりでした。映画という曖昧な定義の媒体について考えれば考えるほど、いくらでも茶化せることに気付きます。
この作品はフィクションです。嘘の世界です。
しかし、確実に目に見えて、手で触れられるもので作られた虚構です。
これを真実と呼ぶことは可能でしょうか。
この作品は凡人と天才と狂人たちの物語です。みんな盲目で、みんな修羅なのです。
良い嘘も悪い嘘もあると思います。
映画とは何かまだ分かりませんが、今作は、純粋であろうとしました。
テーマは色。
青と赤。
黒と白。
濃と淡。
明と暗。
きれいなもの。
蝶と花。
十字架と羽。
いらないもの。
明日。
そんな感じ。
きれいなものが作りたかっただけなので一瞬でもきれいとかかっこいいとか思って頂けたら幸いです。
決め台詞は『薔薇探偵にお任せあれ!』
題名からして探偵物ですが、この作品には推理が欠落しています。ホームズと一緒に犯人を考えているような方にはつまらないかもしれません。小林少年よろしく助手の美少女も登場しますが彼女は一言も喋らない黒猫なのです。
可愛い女の子は好きですか?薔薇は?お菓子は?ドレスは?髪飾りは?くれぐれも注意しておきますが、この作品の目玉は推理ではないのです。撮る目的から脚本、撮影、何から何まで考えの足らないお話ですがそれでもいいと思って撮りました。とても表面的です。少女と人形と可愛い物への愛を見せかけのお話に包み込んでぶちまけました。もうどうにでもなればいい。
生物の発生過程では、多くの転写因子がゲノムに対するシグナルとして時間的・空間的に異なる領域で発現し、異なる生命現象を引き起こすことが報告されている。「同一のシグナルであるにもかかわらず、受け取った細胞によって、どうして異なる遺伝子発現が起こるのか?」という問題は遺伝情報の読み出し方の多様性を明らかにしていくうえで極めて重要である。しかしこのような応答性の違いを生み出す分子機構は現在明らかでない。今回、我々はハイスループットな発現パターンスクリーニングを行って、未分化の胚から体節が形成される領域で特徴的な発現を示す遺伝子の単離を試みたが、途中で意外とだるいよねという結論に遂に達し、やめた。
天保九年は宇宙暦。
スプートニクから千八百年、
永きに過ぐる泰平の
鏡のごとき水面の下で
刀は赤く錆び朽ちて、
兵どもは夢の跡。
腹の黒きが肥太り、
山吹色の菓子折り数え
夜毎不埒な独楽回し。
悪行三昧耐えかねて、
女だてらに刀を取れど、
修羅は修羅とて修羅の花。
気圧され斃され手折られて、
涙の後に虹み出る
終わる琴なき恨み節。
所詮此の世は生き地獄、
天の裁きを宛てには出来ぬ。
手裏剣、ピストルぶらさげて
下駄を鳴らしてやってくる
木星帰りの奴の名は
誰が呼んだか“豪傑自來也”
諸行無常の祇園の街で、
撃鉄おこせば響きだす。
地獄の挽歌はポリリズム!
「人間と犬との関係は奇妙なもので、私は常々美人飼い主が犬にキスするのを見ては犬になりたいと思い、おばちゃんが無理矢理犬にキスするのを見ては、まーそれでもやっぱり女とキスできるんだったら犬になりたいと考えてきました。」直前の文章の最後、本来なら「おばちゃんに無理矢理キスされる犬を見ては、犬にだけは絶対になりたくないと考えてきました」となるはずです。これが常識のある人の文章です。つまり最初の文章は非常識な人の書いた文章であると考えられます。まー恋人にするなら常識のある人ですが、たかだか30分程度の映画を観るなら非常識な映画かなってことで、本作品は非常識な世界をテーマにした映画です。
町に無差別連続射殺魔が現れた。場所を問わず、時間を問わず、標的を問わず、犯行は重ねられた。被害者の人数が百人に及ぼうかというとき、射殺魔はついに追い詰められた。逃げる射殺魔を追ってビルの屋上に出ると、彼の姿は忽然と消えていた。
それ以来、射殺魔の足取りは全く掴めなくなった。だがしかし、今でもこの町のどこか高い所から射殺魔は銃を構え、週に一人は誰かがその銃弾に倒れるのだ。
人々はそれでも逃げ出したりするでもなく、まるで彼のことなど忘れてしまったかのように当たり前にこの町で暮らしている。
太宰治は、「人間失格」をハッピーエンドにしたかったのではないか、と思っている。「人間失格」で描かれたのは、太宰にとって悪夢とも言うべき過去である。そんな過去を、10年以上構想したこの作品で肯定的に評価することで、傷つき、疲れ果てた自分自身を癒そうとしていたのではないか。しかし創作のデモンに唆されるまま操られるままに筆を走らせるうち、ついついあのような悲惨な結末を主人公にもたらしてしまった。太宰が自殺を決意したのは、実にこの瞬間だと、僕は勝手に考えている。
僕はこの作品を、ハッピーエンドにするつもり。その成否は、幕が上がるその瞬間まで分からないけど。
夏休みなのにいつもより早く目が覚めたフランソワ。
朝ごはんもたっぷり食べて、
さて今日はどこにいこうかなぁ
海でうきわに乗ってぷかぷかしようか、
砂浜にパラソルを立てて寝っ転がるのもよいな、
木陰でこの間借りた本でも・・・
とにんまり考えてると
ミーィンミンミンミンミーィンミンミンミンミンミン
シーシーシーシーシーーージジジ
今日も元気いっぱい、あの鳴き声が聞こえてきました。
夏はぎとぎと、じめじめのだるい季節だったはずなのに、
冬の寒い日に思うと、なんて太陽のぬくい
素敵な季節だったのだろうとうっとりします。
廻る 廻る
白い光の中を
暗い光の中を
沈んで もう一度沈んで
また同じ
廻るものを止めてしまえば
すべて沈む
すべて廻る
また繰り返す
何も知らない
泳ぐのは時間が作り上げた絵空事
【作品解説】・・・”耳をすませば”から1年後。イタリアにバイオリン留学中の天原聖司との遠距離恋愛に限界を感じ始めた女子高生・月島雫の前に聖司と瓜二つの男・黒木が現れる。聖司と黒木の間で揺れ動く雫。夏休み最後の二日間と二学期始業式の日の三日間をカメラが追う。雫が最後に下した決断とは!?
【月島雫の近況報告】・・・無事第一志望の高校に合格し、一見順風満帆に見えた高校生活も早や5か月。イタリアに住む初恋の相手とは時差と高額な通話料金に邪魔され電話もままならない。会えないせいで聖司が頭の中でどんどん理想化されいく一方で、どんなに好きでも会うことができないという苦しみにひたすら耐えている。そんなある日・・・
ここ一年、途中で物事を投げ出すことが多くなった。何かを考えるもなく、考えることに幸せを見出せるようになったのかもしれない。
もう投げ出しちゃっても良いんじゃないかな?別に構わないよね?「最近なにか映画見た?」だって。
そうだな、ジャン=リュック・ゴダールとルイス・ブニュエルとクシシュトフ・キェシロフスキと侯孝賢の映画を繰り返し見た。
あと賈樟柯の映画が見たいけど、なかなか見れてない。
でもホントのことを言うと、ファスビンダーの映画が見たいんだ。
ほんの数分でもいいから、優しさの幻想を持てるように・・・。
別に構わないよね?
もう投げ出しちゃっていい?
何かを考えるもなく考えるのって、すごく孤独だな・・・。
> 「私はいつもとちがう隣の席で鰺フライ定食を食べたあと珈琲を注文し、耳に滑り込んできた女将さんの比喩にしばし沈黙していた。四角い水槽ではなく広々とした円形の回遊水槽に入れられ、他の連中よりは恵まれた境遇だとつまらぬ思いこみをただせぬうち、どうしたわけだかみな一定方向へまわっている魚群に飲み込まれてしまうあれらの魚たちと、電車道の近辺をただ行き来するばかりでいっこうに外へと目をむけないこの私にどんな差違があるのか」
(堀江敏幸『いつか王子駅で』)
『秋』(op.05)/2007年/DV/カラー・白黒/16:9/NTSC/60分
出演/A 『僕』:吉村真治 妹:和田φ子 ユミ:植田愛美 ヒロシ:田中雅則/B 『私』:水島明日香 山崎:新添吉記 シズカ:川又浩生 狂女:近藤あや菜 男:吉村彰人/スタッフ/撮影監督:栗田宗樹 照明助手:野村陽・加納愛子・竹内翔・秋山理 撮影助手:村田真奈/音響監督:伊奈林太郎 録音:山田陽/編集:栗田宗樹視覚効果:伊奈林太郎/劇中映像制作:新添吉記 出演:河原奈緒子・小佐田直樹/オリジナル音楽:清水庸平/監督・脚本:栗田宗樹 プロデュース:和田φ子 企画協力:田中雅則/制作:京大シネマ研究会 制作協力:立命館大学映画部
俗に言う「最近の若者」の私ですが、時間が私を大人にしてしまう前に、若さ故に感じた現代を整理しようと考えました。取材に加え、歴史により過去と近現在を照らすことを心がけました。そこで世代交代による歴史の周期と、そこに連鎖して現在まで繋がる社会現象と文明と思想の変化の、あからさまな関係性が少し見えて来たときやはり私は、何をするために生まれてきたのか、進化は何を欲し、何を正しいプロセスとするのか、という絶望に似た難問にぶち当たりました。結局、私が手を借りた情報という巨大な人類の遺産が、私を悩ませました。そんな中、最後まで捨てきれなかった希望。それを全ての悩める人と私自身へのエールとして映画にしました。
吉田の借家にて。九月十日に鍋をやります。ワリカンです。
なるべく材料費は安く、たくさん食べましょう!
お酒は各自持ってきてください。
亀をかわいがってあげてください
言葉遊びにより突如迎える、
世界の音無き変容と論理・倫理の終焉、
訪れる終末、
徹頭徹尾誤った論理(詭弁)によって行われる世界の修復
とある昼下がり、私は趣味のマジックに興じていた。
そしてふと思ったのだ…映画が撮りたい…と。
なお、この作品は実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
心ってなんだろう?
そんな疑問が有ったのか無かったのかも分からなくなってしまいました。
寒くなってきましたね。