人と人のつながりって何だろう?それは目には見えない。けれど確かにあると感じる瞬間がある。
というのが一応のテーマなんだけど、それは横に置いといてかわいい女の子たちのお話。毎日の生活の中の悲しいこと、いやなこと、仕方ないと分かってても割り切れないままのぐちゃぐちゃした気持ちに対する答えは結局出ないけど、たまにはなんとなく希望が見えた気になって「まあいっか」と思えることがある。そんあ、見終わった後、ほんのりうれしい気分になれる映画にしたかったのです。
ある一つの事柄を言う時、人によって言い方は様々に異なります。それは、人によって自分が大事だと思うところが違うからだろうと思います。世の中には、大事だと思う事を伝える人と伝えない人がいます。大事だから言う、大事すぎて口に出せない、という風に。どちらが良いとは分かりません。そんな事を思いつつこの映画を作りました。
紹介文を書いてくれと言われたわけですが、ナニブンこれを書いている今現在何もできていないわけで。上に葉なんか意味ありげなことを書いているわけですが、そんなもんにもなる気配はありません。構想は無いことも無いのですが、ほとんどまとまりがなくて困っています。
さてどんなものが出来上がるのやら...
鈍くひかる電柱のもと、二人の男が再会する。彼らの表情はどこか硬く、またぎこちない。そして彼らは再び別れる。復讐を胸に誓って。
僕は泣けるような映画が好きです。なのであえて今回は正反対の映画にしてみました。『撮影・編集・映像技術の向上』『漫画っぽいフィクションの構築』『サスペンス的な演出』などさまざまな課題を自分に課して撮りましたが、果たしてうまくいっているでしょうか?
あやうい均衡を保っていた「つながり」が、吹きすさぶ初春の風の前にもろくも崩れ去る。その瞬間の途方もなさを撮ろうと、北野武、エドワード=ヤン、チープな昼ドラの影響を受けつつ製作しました。映画制作は面白いもので、作れば作るほどまた作りたくなります。そうやって先人たちは映画にとりつかれ、死んで行きました。シネマスパイラルの快楽に実を振るわせる今日この頃です。
最近になって、この映画の主役は時間じゃないかと思うようになりました。僕は、多分誰でもそうじゃないかと思うけど過去や未来や今に対して、公開や不安や焦燥や、懐かしさや憧れや期待を抱いて生きています。時は、そんあ誰かの思いや考えなどまったく無視してそこにあり、そして進んでいるのでしょう。それとも過ぎていっているのでしょうか。そのことは時々耐え難いですが、時々は有難いです。